久しぶりに書いてます。実に激動の2年間でした。新型コロナウイルスの影響で2020年2月から在宅勤務が始まり、仕事と家事と姉さん女房の強烈な扱きに耐える毎日でした。まあ、その間に二人目が生まれました。今度は娘で、ほんとに目に入れても痛くない大事な存在です。新たな命をさずかり大事な時期なのに、わけもなく気力が低下して辞表を出してきました。
新型コロナウイルスは会社をマジで倒産に向かわせている
新型コロナウイルスのおかげで在宅勤務の期間は長くなりました。最初は、出社時間の調整だったのですが、気が付くとロックダウンになりました。正確にはロックアウトです。
同期が月島のタワマンを購入して、大きな借金(住宅ローン)を抱えていました。夫婦揃って協力して保育園に迎えに行って楽しくやってましたが、だんだん顔色が悪くなってきました。
奥様がお勤めなのは航空会社でフライトは月に3本。しかも、国内線で、たまに国際線があるとカップヌードル、佐藤のご飯、ゆかり、ふりかけ各種を持ってフライトに行きます。
滞在先のホテルでの食事がなくなり、ホテルから街への買い物も規制されます。これって、かなりやばい感じですよね。
収入は激減です。ボーナスはスズメの涙の状況です。そこに、新型コロナ不況の影響で広告会社も大ピンチの状況なのです。
2020年4月からほとんど出社することができなくなりました。築地のマンションを引き払い、茅ヶ崎のマンションに帰ってきました。新型コロナウイルスは潮風には弱い。ということはないのですが、春江は元気にパワフルに自宅で仕事をしながら、チビの面倒は私と義母と義妹がみてくれるという感じでした。
料理当番になって、YouTubeみながら奮闘する日々
なんと言っても大変なのは、食事です。
二人目の妊娠中も食欲と性欲が衰えない姉さん女房の相手をしながら、なおかつ仕事をこなすのです。営業も電話で行います。
zoom会議をこなすために、NUROを導入して必死に頑張るのです。恐ろしかったのは、ズーム会議が1日に3つもあると流石に疲れます。
椅子はゲーミングチェアを購入していましたが、ついに大奮発して25万円の12時間連続で座っても疲れない椅子を購入しました。
ちび1号と海での遊びを毎日付き合って、帰宅後に家事をやり、それから仕事をするとどうなるかわかりますか?買い物に行く時間が、釈放時間になります。
この釈放時間が終わると寝るまでの間は、地獄のような労働の日々です。
なんとか、義妹の協力もあって、買い物も上手くなり時間を作ることができました。義妹とカフェにより雑談をして帰ると「どこで油打てたの」と怒るから大変です。
それでも、相変わらずのアメと鞭の加減は最高です。
仕事はなんのために努力するのだろうか?
「すればいいでしょ」と明るく笑う姉さん女房は、なんでこんなに余裕があるのか?簡単ですよ。相変わらず、商売は絶好調で「いつ会社倒産してもいいよ」と笑っているのです。
ネットで商品を売るということがどれほど大変かはわかっています。
だけど、それを2009年から実践している姉さん女房は、普通にネットで商売して利益をあげています。
「冷静に考えて、あんたがどんなに努力して数十億円の案件取ってきても、あんたに入るボーナスと給与はインセンティブで増えないでしょ。私の仕事は、やればやるだけ自分に返ってくるのよ」と言われると、「そうだよね」としか言えなのです。
そんな環境下でも、ズームと電話で案件獲得して売り上げ伸ばしても、ボーナス期待していたほど増えないですからね。
なんのために努力するのだろうか?と考えてしまうのです。
だんだん辞めたくなってきたのです。
退職願をかいて出してみよかな?と言ったら「アホ」とマジで怒られました
石の上にも3年。昔の人はよく言ったものですよね。
それで、石の上に3年座っていたのですけどね。
「会社辞めようかな」と言ったら「アホ、辞めんじゃねーよ」と怒られ、一生懸命仕事をしていました。
そんな時に同期がやめました。
福岡の実家に返って、家業を手伝うとのことでした。
愚痴を本気で言い合える友がいなくなったこともあるのですが、なんとなく自分が孤立した感じになりました。
明日の仕事の段取りを組んでみて、どうやって、仕事のモチベーションを上げていこうかなと思っても、厳しいのです。
そして、気がついたら本気で辞表を書いて出してきました。
受理され、ゆっくりと歩いて品川まで行き、そこから崎陽軒でシュウマイ食べて、帰るのでした。
「ただいま」
「早いじゃない」
「面倒だから会社辞めてきた」
「そう。で、何するの?」
「これから考える」
「海に行って感がてきて」
と言われ、ジーパンとポロシャツになって手帳1冊とボールペンを持って海に行きました。
何も考える余裕がないのです。
会社を辞めたいと思ったのは何故か?
俺は何をやって家族を養っていくのか?
スズメの涙の退職金でどうするのか?
何をしたらいいのか?
ずーっと考えていました。
気がつけば、夜の23時を回ってました。
みんな寝てるよね。
急に腹が減ってきました。
帰ろうと立ち上がると後ろに春江が立っていました。
「考えるの終わったの?」
「まだ終わってないけど」
「じゃあ、この弁当食べて考えてから考えてね」
弁当はおむすび3個と唐揚げ3個とプチトマト3個とお茶の入った水筒でした。
立って、海を眺めながらおむすび食べてました。
潮風に当たったおむすびは、なんとなく塩味が増した感じがしていました。
弁当を食べて、ここで考えても無駄かと江ノ島に向かって歩き出したのです。
歩いても歩いてもなにをするべきなのか。
考えがつきませんでした。
やりたいことはたくさんあったのに。
その日は鎌倉まで歩いて行きました。
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