何ができるのかを考える日々は面白かったが辛かった

事業計画

なんとなく気分がすぐれなくて、家にいると家事を手伝う夫という立場以外になくて、外に出て行った。家を出るときは、ノートを一冊持っていくだにけにした。気がつくと東海道線で京都に向かっていた。

自分に何ができるのか?考える時間がほしい❗️

広告会社を退職した。何が不満だったわけではない。このまま、会社に残りそれなりに営業マンとして頑張っていく自信はあった。

ただ、週末夫婦となって単身築地に住んで、水曜日と金曜日の夜に茅ヶ崎に帰るのがちょっとかったるくなったのは事実だった。

それに加えて、姉さんの女房は相変わらず育児と自分の事業継続を必死でやっていて俺一人東京で働く意味があるのかという疑問があった。

できれば、家族と一緒にいて仕事がしたい。子供たちも茅ヶ崎が大好きで、義妹と義理母は子供たちと遊ぶのが好きだった。

なんとなく田舎で農協の直販してるおばさんと仲良くなった子供達は、地域と馴染んでいる。

幼稚園に通い出した子供を見てるとほほえましい。

9時30分着席の苦痛がはじまった

テレワークでも9時30分になると点呼がある。これを日朝点呼という。自衛隊並みである。

この場で営業方針が伝えられキャップから檄が飛ぶ。それが終わってから、メールの確認作業になる。午前中に200本近いメールを読み込んで返事を送る。

確認作業はメモを取り何時までに返事するかを決める。そして、テレワークで会議を行い、広告主様とのズーム会議がある。

ズーム会議の後にキャップに報告して部長の承認をもらってから仕事が始まる。唯一いいのは、飲み会がないことだ。

テレワークのおかげで飲み会地獄から解放された

一次会は欠席してもいいが二次会は遅刻厳禁である。二次会に遅刻したら最後、ビールの一気飲みは当然のこととして、芸を披露してからようやく着席することができる。

はっきり言って、普通の神経ではついていけない会社だった。そして、残業しないと給与は上がっていかないのに、残業は禁止された。

テレワークでも残業は当たり前だった。企画書に作成は営業ミーティング後に行う。当然のこととしてキャップの赤字、部長の赤字が入り、局次長の承認が取れれば進められる仕事である。

そして、どんどんテレワークと仕事が両立するのが大変だった。テレワークになれば自宅に帰るというのが基本だが、ズームでの会議は20時開始がある。そうすると子供の鳴き声が会議中に響くことになるのだ。

これはまずい。そのため、週末に帰るはできなくなった。というか金曜日の夜に帰ることはできたが、水曜日の午後に帰るのが苦痛になった。

どうせやるなら自宅で仕事ができる環境を作りたくなった

何ができるのか?

ノートを一冊だけ持って東海道線の下に乗った。大垣まで行ける。その間に何ができるかを考える。

ノートを開いて自分の得意なことを書き出してみた。

1、企業の宣伝活動計画の立案と実行
2、商品PRのためにCMを作成する
3、雑誌に企画広告を掲載する
4、PR部隊を組織して宣伝活動を行う

など、書き出したらいくらでも書き出せるが冷静に考えて、広告会社にいたからできる技であって、個人でやるには運転資金が必要になる。そのためには会社の設立が必須となる。

どうしようか?
会社を辞めたのは俺だけではない。同僚も数名やめている。ならば仲間と会社を作るか?

でも、どうかな?

個性がぶつかるしな。

その個性のぶつかり合いに耐えられるだろうか?

それもノートに書き出していた。

どんどん車窓からの風景が変わっていき、気がつけば名古屋だった。

名古屋で降りることもなく、ひたすらノートを書き続けていたら春江からメールがきた。

「どこまで行ったの?」

「今、名古屋に着いた」

「各駅で?」

「そうだよ。各駅だよ。考えるにはいい時間だったけど、お尻が痛くなった」

「そりゃそうよ。名古屋から関西線にのって伊勢に行けば」

それはいい考えだと思っていたら、ドアが閉まった。

京都まで行くかな。あと2時間とちょっとで名古屋に着く。

そう思って、各駅停車の旅が始まったのだ。

ちびたちは「パパはどこに行ったの?」と聞いてきたらしい。

パパも考える時間が必要なんだよね。

ごめんね。すぐに帰るからね。

そう思って、自宅で仕事をしている友のことが思い出された。

そうだ。神戸で自宅を職場にしている友がいる。自宅でWeb系の仕事をしている。月に数千万円稼いでいると言っていたな。話を聞きに行くか?

そう思って、質問事項を書き出したら止まらなくなった。

友にメールした。

近くのホテルをとる。と書いたら「俺んちに泊まっていけよ」と言ってくれたが、とりあえずホテルの予約はすることにした。

何時間乗っただろうか?

京都から新神戸までは新幹線で移動した。早く会いたかった。というか仕事の話を聞きたかった。

関西支社に配属になり、それから数年で独立して神戸で会社を作った友の話はきっと役に立つだろう。

あいつにできたんだから、俺にもできる。

そう言い聞かせて、ひたすら友の家を目指して進んでいった。

阪神芦屋駅から徒歩10分か?よし気合いで行くぞ。

 家は全て仕事部屋だった

驚いた。

家に着くと「お、久しぶり。飯を作っておいたぞ」と言われてダイニングルームに行ったら、誰もいない。

「奥さんと子供は?」

「この家は仕事専用にしてんだよ。家族は徒歩5分のところにいる。1時間もすれば来るよ」

「家族は別なのか」

「この家は職場だ。フリーランスが出入りしているしな。ここに泊まるのはないな。その代わり、朝の5時から仕事をしている。5時からメールの確認作業をして、返信するメールは間髪入れずに返す。そして、仕事の残りをかたす。9時までには準備完了だな。8時30分には2名の社員がやってくる。その2名の社員と朝食を食べながら打ち合わせをして、昼までに一気に仕事を仕上げる。女房は昼になるとやってきて、昼飯作って食べて帰るのだよ。ちょっとだけ仕事手伝ってもらってな。」

「奥さんの仕事は何をするの」

「撮影だよ。女子の感覚で仕事をしてもらっている。自然光で写真を撮りたいらしく、物によっては午前中に来ているよ。女房の仕事は総務と経理と撮影、映像編集でさ、他は俺がやっている。」

「で、月にどれくらい稼いでいるの?」

「会社の売上は月に2億円だな。ほぼね。月によっては、下がるから一番良くて2億だな。それ以上は無理になるな」

「社員は2名だけ?」

「正社員は2名で、外注さん使っているよ。クラウドワークス、ランサーズ、ココナラをフル活用している。デザイナーはココナラでお願いしている。」

「外注さんはレベルはどうなんだ」

「ピンを探すのさ」

「ピンを探す?」

「そうだよ。実際に仕事を頼みできてきた文章、映像を見て評価する。使えない人には2度と頼まないけどね。あるテーマで原稿書くなら1本3万円で書いてくれる人もいる。書くべきキーワードはこちらが指定するけどな」

と、仕事の内容を聞けば聞くほどに、広告会社時代の仕事とはかけ離れている。

広告会社時代に学んだことは使い物にならないかもよ

広告会社時代に学んだことは、Web事業には使えないのだよ。

なのが大事かというと、新たに学ぶことなんだよ。

あとで勉強すればいいと思うのではなくて、今やるべきことを何かを明確にするのだよ。

例えば、文章も映像もセオリーがあって、そのセオリーを自分の物にするために何をするべきなのかを考えて行動するのだ。

1サイト7000字の記事を300作ると見えてくるよ。

300個のWebサイトを作るのか?

300個のWebサイトを作るには、300個のドメインと文章をサイト設計が必要になる。

これをこなすと見えてくるよ。

どうしたら、人は行動するのか?ということがね。

広告会社時代には全く気が付かなかった視点で広告を見る目ができる。

話を聞きながら圧倒されていたが、そんな時間も暇もない

考えている暇があったら、原稿を書いた方がいい。

きっとその方が気づきがある。

だから、行動してくれ。

と言われて、メモしている暇がないくらい圧倒されていた。

ローンなしで家2つ買ったのがすごい。

話を聞いていたら、かわいい女の子と美しい奥様がやってきた。

「お前の自慢の奥様は元気なのか」

「元気ありすぎて困っているんだよ」

「まあ、酒飲みながら聞くか」と

酒盛りが始まった。

持つべきは友である。

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